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コラム

熊野古道のほんの入口

熊野一の鳥居、熊野本宮に向かう道程の第一番の社とのこと。
山道 海南市にある某神社の境内に続く道の側らで、暮らし始めて16年近くになる。カーポートの柱に知らぬ間に「熊野古道」と書かれた提灯がくくり付けられていた事がある。家の前の道も、地元にとっては熊野古道の端くれなのだろう。車の対向もままならないような狭い道であるが、休日の朝ともなれば、真夏であろうが真冬であろうが、軽い登山装備の団体が何組か通り過ぎて行くことも珍しくない。10年以上前になるだろうか、「何があるのだろう?」と思いたち、自分も同じように歩いてみた。と言っても、目標は山坂を登り切った所にある無人の寺、距離はおそらく数キロ足らず、地元の正月のイベントで、幼稚園児でも歩けるというお気軽コースである。それでも本格的な山道に入る前に息が切れた。岩むき出しの道の上で、足元がふらついているのが自分でも分かった。自分の鼓動がはっきりと聞こえてきた。「無理無理・・・」結局途中で引き返すことになった。「情けない・・・」後日再挑戦し目的は達成したが、何が魅力なのか判らない。登山客がこんなところで引き返すはずはなく「もっと先には何かあるはず」と、有田あたりまで歩いてみたが(それも絶景を期待し、一眼レフと交換レンズを3、4本、合計5キロ以上はあるであろう荷物を抱えて)、「本当に道か?」と疑いたくなるような蜜柑畑や、ごく普通の舗装路ばかり、最後まで心惹かれる景色に出逢うこともなく、劇坂しか印象に残らなかった。(帰りの電車を待つ駅で、見知らぬ小学生であろう女の子に、一粒のマーブルチョコをもらった。よほど不憫にみえたのだろう・・)「熊野まで歩くならいざ知らず、日帰り程度であれば古道に大した魅力なし」という結論を出して、私の熊野古道に対する興味は消え失せた。

手水舎 それから時は流れて平成25年、昔の自分そのままに運動とは無縁の肥満児に成り果てた小学5年生の息子、何とか運動させようと誘ってみると「行く」と言う。例の無人寺までだが、予想に反してあっさりと登り切ってしまった。(途中休憩を多く挟みながら、子供なりの速さではあるが・・・親父としては、もっと違う展開を期待していたのは内緒である。)寺で手を合わせる肥満親子・・と、息子が一冊のノートを見つけた。よく観光地や旅館においてある、旅人向けのアレである。「子供がそんなものを勝手に見るな!落書きするなよ」と取り上げた時に、目に止まった一文「肉親に不幸ごとがあり心折れていたが、ここに来て救われた。本当にありがとうございました。」といった内容だったと記憶している。この人の心境は知る由もないが、書き残さずにはいられないほど救われたのは間違いないのだろう。

私は思った「何もないと感じるのは、気づいていないだけ。感じる必要がないほど満たされているから」だと。

我ら肥満親子、親父は毎日仕事が忙しく、息子は土日といえども塾通い。今回の山歩き往復での約2時間、2人だけでこんなに話をしたのはいつ以来だろう?思い出せないほど他愛ない内容だったが・・。考えてみれば贅沢な時間だったように思う。この道の何が大勢の人々を惹きつけているのかは、私には未だに判らないが、「何かがあるから」ではなく、「自分の足で歩くこと」「仲間と時間を共有すること」自体に意味があるのかもしれない。

2013/05/23 Posted by Y.O.